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東京地方裁判所 平成元年(ワ)9312号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して金八〇〇万円及び昭和六二年八月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告の事業及び原告と被告らとの雇用関係

原告は、昭和六二年八月二一日当時、東京都渋谷区《番地略》所在の風連人(ふれんど)マンション一〇二号室において、乳幼児のための未認可保育施設(その名称は、キンダーハウスであり、その室内の間取り等は、別紙現場見取図のとおりであつた。この保育施設を以下「キンダーハウス」という。)を経営していた者であり、被告らは、その当時、いずれも、原告に雇用され、キンダーハウスの保母として勤務していた者である。

2  被告らの分担業務等

その当時、キンダーハウスには施設長の高田橋政代、被告ら、長島保母、土田保母の保母が五名勤務し、乳幼児が一八、九名在籍し、そのうち零歳児が八名であつた。零歳児のうちには、原告が前田宏司及び前田弥生から預かつた右両名の子である祥(昭和六二年四月一四日生まれ)も含まれていたが、被告らは、主に、この八名の保育、すなわち、授乳、おしめの交換、連絡帳の記入等のほか、起臥、睡眠中の零歳児の動静に気を配り異常な事態が発生しないように監護することをその担当業務としていた。

3  本件事故の発生

昭和六二年八月二一日、祥は、午前一一時ころに被告安野から授乳を受けたあと、キンダーハウスの乳児室(床はじゆうたん)内の別紙図面のAの箇所に敷かれた布団(以下「A敷布団」という。)上で寝かされていたが、午後二時五〇分ころ、被告富士原が祥の異常に気付き高田橋が駆けつけて見たところ、祥の体はぐつたりしており、触れたところ、その身体は冷たくなつていた。直ちに救急車を呼び、午後二時五八分に到着した救急車で祥を病院に搬送したが、祥は、午後四時〇分、死亡し、その後の解剖結果によれば、その死因は、吐乳吸引による気道閉塞であつた。

4  被告らの帰責事由及び因果関係

被告らは、乳児に対して授乳をして睡眠させる場合には、頻繁に乳児室を見回つて当該乳児の動静に気を配り、吐乳吸引による致死の結果を生じさせないようにするべき注意義務を負つていたものであるが、被告らは、祥に対する授乳後、別紙図面の食堂で他の保母らと雑談するなどして長時間にわたり祥を放置し祥の動静に対する見回りを怠つたものであり、この注意義務違反により、祥の異常に気付くのが遅れ、そのため、祥の死亡の結果が発生したものである。

5  被告らの行為の関連共同性

被告らは、いずれも、零歳児の保育の職務を担当している間に、共に祥を放置して右4の不法行為をしたものである。

6  原告の損害

原告は、前記の前田宏司及び前田弥生から、本件事故における祥の死亡につき被用者である被告らの共同不法行為に基づく損害賠償を請求され、昭和六三年三月二一日、金三四〇〇万円の示談金を支払う旨の示談が成立し、そのうち金二六〇〇万円については、原告が加入していた賠償責任保険から同額の保険金が支払われたので、原告はそれをその弁済を充て、残る八〇〇万円については、その保険金支払のころに金二〇〇万円を支払い、そのころから平成二年三月三〇日までの間に分割して残金六〇〇万円全額を支払い、合計金八〇〇万円の出捐を余儀なくされたものであり、原告は、被告らの前記の不法行為により、同額の損害を被つた。

7  原告の結論

よつて、原告は、被告らに対し、使用者損害賠償責任を負担した使用者の不法行為者たる被用者に対する求償権に基づき、求償金八〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の翌日である昭和六二年九月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否等

1  請求原因1の事実は、認める。

2  同2のうち、本件当時、キンダーハウスの施設長が高田橋であり、保母が高田橋、被告ら等の五名が勤務し、乳幼児が一八、九名在籍し、そのうち零歳児が八名であつたこと、零歳児のうちには、原告が前田宏司及び前田弥生から預かつた右両名の子である祥(昭和六二年四月一四日生まれ)も含まれていたこと並びに被告らの担当業務には、この八名の零歳児の保育、すなわち、授乳、おしめの交換、連絡帳の記入等のほか、起臥、睡眠中の零歳児の動静に気を配り異常な事態が発生しないように監護することが含まれていたことは、認める。ただし、零歳児八名は、被告らのみがその保育をその担当業務としていたのではなく、どの保母も相応にその八名の保育に注意を払うべきであるとともに、被告らもそれぞれ零歳児以外の園児の保育にも相応の注意を払つていたものである。

3  同3のうち、祥の死因については、知らず、その余については、認める。

4  同4のうち、被告らが祥に対する授乳後食堂で他の保母らと雑談するなどして長時間にわたり祥の動静に対する見回りを怠り、この注意義務違反により、祥の異常に気付くのが遅れたことは否認し、祥の死亡につき被告らに過失があつたことを争う。被告らは、他の保母と連携を取りながら、ほぼ三〇分に一回くらいの目安で乳児室を見回つており、実際に、被告富士原は、本件事故の当日午後一時二〇分ころ、本件のA敷布団と隣の敷布団との間で腹這いになつて笑いかけてきた祥を認めて祥をまたA敷布団に仰向けに寝かしつけ、毛布を祥の腹の下の方に掛けたが、この時、祥に全く異常がなく、また、午後二時〇分ころ乳児室内で泣いている乳児を寝かしつけ、また、午後二時二〇分祥の隣に寝ている乳児二人におやつを与えるため乳児室からプレイルームに連れて出たりしたが、これらの際にも祥に異常は認められなかつたものであり、そうすると、祥に吐乳吸引があつたとしても、それによる発病から死亡までは短時間であるから、その死亡の一〇分ないし二〇分前に見回りをしていたとしてもその吐乳吸引の異常を発見することができないまま祥の死亡が発生した可能性があり、被告らには原告主張のような過失はない。

5  同5は、否認し、同6のうち、原告の示談、保険金の支払を受けての示談金の内金の支払及び示談金残金の支払の点は知らず、その余の点は否認する。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1(原告によるキンダーハウスの経営、その室内の間取り等及び原告と被告らとの間の本件当時の雇用関係)の事実は、当事者間に争いがない。

二  同2(被告らの分担業務分担等)のうち、本件当時、キンダーハウスの施設長が高田橋であり、高田橋、被告ら、長島及び土田の保母五名が勤務し、乳幼児が一八、九名在籍し、そのうち零歳児が八名であつたこと、零歳児中には、原告が前田宏司及び前田弥生から預かつた右両名の子である祥(昭和六二年四月一四日生まれ。本件当時四か月児)も含まれていたこと並びに被告らの担当業務には、この零歳児八名の保育、すなわち、授乳、おしめの交換、連絡帳の記入等のほか、起臥、睡眠中の零歳児の動静に気を配り異常な事態が発生しないように監護することが含まれていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

ところで、原告は、零歳児の保育が、被告らが主に担当していた業務である旨主張し、被告らは、どの乳幼児もどの保母がその保育を担当するかの業務の分担がなかつた旨主張するので、この点について判断するに、《証拠略》によれば、本件当時、キンダーハウスの原則的な業務分担は、六か月未満児の保育を被告安野が、六か月以上一歳未満児の保育を被告富士原が、一歳以上二歳未満児の保育を長島が、二歳児以上の保育を土田がそれぞれ担当し、これらの保母がそれぞれ不在の場合には、被告安野については被告富士原が、被告富士原については被告安野が、長島については土田が、土田については長島が、それぞれその不在中の保育業務を補充し、なお、朝の乳幼児の受入れ等の一時的に保育業務が幅輳するときは保母全員でその業務をさばくこととなつており、また、高田橋は、これら四名の保母の監督をするとともに、勤務しているこれらの保母に手が足りないときはその不足の保育を手助けする業務分担になつていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右の認定事実によれば、祥は、被告安野が勤務する間は、被告安野がその保育の業務を分担する態勢にあつたものといわなければならない。

三  次に、本件事故の発生、その発生に至る経緯及び祥の死因について、検討する。

1  昭和六二年八月二一日午前中から、キンダーハウスの乳児室(床はじゆうたん)内の別紙図面のA敷布団上で寝かされていた祥が、午後二時五〇分ころ、祥を起こしに来た被告富士原によつて異常な状態にあることが発見され、被告富士原の声で高田橋が駆けつけて見たところ、祥は体はぐつたりしており、触れたところ、その身体は冷たくなつており、直ちに救急車を呼び、午後二時五八分に到着した救急車で祥を病院に搬送したが、祥が、午後四時〇分、死亡したことは、当事者間に争いがない。

2  右の争いのない事実に、《証拠略》を合わせると、次の事実を認めることができる。

(1) 祥は、出生後その発育が順調で、ミルクもよく飲み、元気で、昭和六二年八月に入ると、布団の上で、体や手足をよく動かすようになり、同月上旬中には独りで寝返りをうつてうつ伏せになることも見られるようになり、同月下旬近くのお盆休み明けには脚で布団を蹴つて体を頭の上方へどんどん移動させて布団の外に出てしまうなどの動きが顕著になり、これらのことは、連絡帳の記載で家庭からキンダーハウスに伝えられ、被告安野も承知していた。

(2) 祥は、同月一七日ころ風邪気味であり、このことも、連絡帳の記載でキンダーハウスには伝えられていたところ、本件事故当日にも、祥の母親は、祥が風邪をひいているのを認識しており、朝キンダーハウスへ祥を連れてきて祥を預ける際、担当の被告安野が遅番の午前一〇時過ぎの出勤であつたため、代わりに祥を受け入れた土田保母に対し、祥が風邪をひいていることを伝えたが、土田から被告安野にも被告富士原にもそのことは伝言されなかつた。

(3) 本件事故当日午前一〇時過ぎに出勤した被告安野が右(2)のように受け入れられていた祥に対しおむつを交換した上午前中に約二〇〇ccのミルクを授乳し、その後、祥を乳児室のA敷布団に寝かせた。

(4) この乳児室は、出入口が食堂との間の廊下に面したものが一つあるのみであり、その出入口には木製ドアが取りつけられており、通常乳児が睡眠中にはこの木製ドアが閉められるため、その間保母の目は乳児室に全く届かない状態となるが、午前一一時半ころに祥は頭部を壁にぶつけて泣いているのを乳児室を見回つた被告富士原が見つけ、A敷布団の元の位置に戻すと泣き止んだ。正午の五分過ぎころ、被告らが相前後して乳児室を見回つたときには、祥は、すやすや眠つていた。

(5) 午後一時二〇分ころ、祥は、隣の乳児の布団との間でうつ伏せになり、乳児室に入つてきた被告富士原に対し腹這いになつて笑いかけたことがあつたが、被告富士原は、祥をまたA敷布団に仰向けに寝かせ、ガーゼカバー付きの毛布を二つ折りにして祥の腹部に掛けておいた。

(6) その後、午後二時ころ、午後二時二〇分ころと被告富士原が他の乳児を寝かしつけたり、起こしたりするのに乳児室に入つたが、祥の状態については特に認識がないまま出入りしたに止まつた。

(7) 他の乳児をプレイルームに連れ出してミルクやおやつを与えた後に、被告富士原は、午後二時五〇分ころ、祥にもミルクを授乳するべく起こそうとしたところ、祥が前記の毛布を腹部以上の上半身に巻き被るように(すなわち、右の毛布の一端を顔の下あたりに敷いて毛布を被るように)したうつ伏せの姿勢になつており、被告富士原がこの毛布を剥がすと、祥は、ぐつたりして身体は冷たくなつており、祥の身体の下敷に使われていたタオル(スヌーピーの模様があるもの)上には、直径数センチメートルの円形の白色の吐乳様の半凝固物が付着しており、更にそのタオルの下のシーツには、縦約三一センチメートル、横約二五センチメートルの液体がしみこんだ痕跡が残つており、敷布団にもそのしみ跡が見られた。

(8) 高田橋の指示を受けた保母が午後二時五八分に電話で救急車の出動を求め、祥は、午後三時五分ころに救急車が到着した時には自発呼吸や脈拍がなく、瞳孔が散大し、対光反応もなく、救急隊が応急の気道確保、心肺蘇生処置をした上、午後三時一九分ころ出発して午後三時二二分にJR東日本中央鉄道病院に搬入されたが、午後四時には、施すすべもなくその死亡が確認された。翌日の八月二二日に行われた慶応義塾大学医学部法医学教室村井医師による解剖の結果、末梢気道にまで至る吐乳の吸引、一部肺胞壁の過伸展、気管炎等の所見があり、祥の直接の死因は、吐乳吸引による気道閉塞と判断された。

《証拠判断略》

3  右2の認定事実に基づいて判断すると、まず、祥は、被告安野が午前中にミルクを授乳してA敷布団に寝かせて睡眠させたものの、やがて目を覚ましてA敷布団上を動きだし、午後一時二〇分ころ、隣の乳児の布団との間にうつ伏せ、腹這いになつているところを被告富士原が認め、祥を仰向けにして、その腹部に二つ折りにしたガーゼカバー付き毛布を掛けたが、祥は、その後、脚や体を動かしてこの毛布を頭部へ移動させ、寝返りをうつのを繰り返すなどする間に腹部以上の上半身にこの毛布を巻き被るようにしたうつ伏せの姿勢となり、そのうち、風邪で気管炎もあつた祥は、まだよく消化しない半凝固状のミルクを相当量吐き、右の毛布と鼻口部との間に溢れた(その一部は、毛布の外にこぼれてタオルやシーツにしみこんだ)が、祥はこの溢れた吐乳の相当部分を深く、強くそのまま吸引し、これが末梢気道までに至る気道閉塞をもたらし、祥は、これにより窒息死したものと推認される。

そして、祥の吐乳は、当時の祥の授乳時間の間隔が《証拠略》によれば三時間から四時間と認められること並びに《証拠略》によれば病院へ搬送した後に病院で祥のおむつを取り替えたときにおむつがほとんど濡れていなかつたと認められることに徴すると、授乳後の遅くとも二時間以内に生じたものと推認され、そうすると被告安野による祥に対する授乳は、午前の昼近い時刻であつた可能性が大きいと同時に、祥の吐乳は、被告富士原が午後一時二〇分ころA敷布団に仰向けにした後午後二時ころまでの間に生じたものと推認すべきである。

他方、被告富士原が午後二時ころ及び二時二〇分ころに乳児室に入つたときには既に祥は、ガーゼカバー付き毛布を被つて吐乳吸引後であつたが、同被告は、これに気付かなかつたものと認めるのが相当である。

四  右三に認定した祥の死亡の結果の発生の経緯及び死因に基づいて、被告らの注意義務違反の有無について検討する。

1  まず、祥の授乳後の吐乳吸引の危険の防止を含むその保育の業務は、前記二に認定したとおり、被告安野が勤務している間は同被告がこれを分担していたものであるから、被告富士原は、被告安野の勤務に具体的な支障がない限り、被告ら以外の保母と同様に、祥に対する右の保育の業務を担任すべき地位になく、したがつて、祥にその吐乳吸引の危険の発生の具体的徴候を認識した場合を除き、一般的にその吐乳吸引の危険を予見するべき注意義務までを負うものではなかつたといわなければならない。

そして、被告富士原がその分担する他の乳児に対する保育の業務をしている間に、たまたま祥に右の危険の発生の具体的徴候が現れているのを認識したことを認めるに足りる証拠はないから、被告富士原にこのような認識に基づく祥の吐乳吸引の危険の発生を防止すべき注意義務があつたものとも認められない。

2  次に、被告安野は、前記二に認定したとおり、祥の保育の業務を分担していたものであるが、《証拠略》によれば、衛生統計では、乳児の事故死の過半は窒息死となつており、その大部分は四か月以内の乳児であり、その窒息死は、布団の掛け過ぎその他による鼻口部の圧迫閉塞や吐乳の気管内吸引による気道閉塞が多いとされているため、保育学の教科書においても、これらの事故の防止等について教育が行われていることが認められるから、被告安野としては、四か月児である祥に対する授乳の後も祥の睡眠中を含め相当程度頻繁に乳児室を見回つて祥の動静に気を配り、吐乳吸引が生じることがないようにするべき注意義務を負つていたものであるが、被告安野は、《証拠略》によれば、午後一時ころに乳児室の様子を見て、泣いている乳児一人をプレイルームに連れ出しておむつの世話をした後には、プレイルームで乳児の連絡帳の記入をしたり、洗濯物を取り込んだり、乳幼児のおやつを作つたり、調乳をしたりする保育業務をしていた(被告安野が祥に対する授乳後、別紙図面の食堂で他の保母らと雑談するなどして長時間にわたり保育業務を全く怠つていたことを認めるべき証拠はない。)ものの、午後二時五〇分ころ被告富士原が祥の異常を発見するまでの一時間五〇分の間に一度も乳児室に入つていないことが認められるのであつて、右の時間の長さ、その間にしていた被告安野の保育業務の性質等を含むこれらの認定事実によれば、被告安野は、相当程度頻繁に乳児室を見回つて祥の動静に気を配る注意義務を怠つたものといわなければならない。

なお、被告安野は、前記三、2、(2)のとおり、本件事故当日の朝祥の母親が土田保母にした祥が風邪をひいている旨の伝言を聞いていないので、祥の動静に気を配る頻度が普段よりも稠密であるべきであつたとはいえない反面、被告富士原が午後一時二〇分ころ布団の外で笑いかけた祥を布団に戻した旨を被告安野にほどなく報告したことが被告富士原及び被告安野の各本人尋問の結果により認められるところ、被告安野は、前記三、2、(1)のように昭和六二年八月に入つてから後祥の身体の動きがとみに活発になつてきているのを認識していたことでもあるから、祥の身体の安全を保つためにも、やはり、相当程度頻繁に乳児室を見回つて祥の動静に気を配る注意義務を免れることができなかつたものというべきである。

五  そこで、被告安野の右四の注意義務違反と祥の死亡との因果関係について検討するに、被告安野が相当頻繁に乳児室を見回つて祥の動静に気を配る注意義務を果たしたとすれば、前記三に認定した祥の死亡の結果の発生に至る経緯からすると、午後二時よりも前に祥が毛布を巻き被るようなうつ伏せの姿勢になつていることを発見することができたものと推認される。

しかしながら、祥が仰向けの姿勢からこのようなうつ伏せの姿勢になるのにどの位の時間が経過したか、かつ、そのようなうつ伏せの姿勢になつた後吐乳吸引するまでにどの位の時間が経過したかを認めるに足りる証拠がなく、したがつて、これらの時間がいずれも比較的短時間であつた可能性も強く、かつ、祥の吐乳吸引は、前記認定のとおり、気道の末梢までに至る吸引であるから、吐乳の後の極めて短時間内の吸引があつたと推認されるので、被告安野が相当頻繁に(例えば、一〇分ないし二〇分おきに)見回つて祥の動静に気を配ることを繰り返しても、次の見回りまでの間に祥が右のようなうつ伏せの姿勢になつてしまい、その見回りの際にこれを同被告が発見したときには祥は既に吐乳吸引後でその気道の閉塞が生じてしまつていた可能性を否定することは困難である。

他方、一般に、気道が完全に閉塞された場合には、数分間で不可逆的に死に至るものといわれており、本件の祥の気道の閉塞も、気道の末梢までに至る吐乳の吸引によるものであつて、完全な閉塞に近く、また、一般に、窒息の場合にも数分以内に充分な気道の確保等の措置がとられないと救命の可能性が低くなるといわれているのであるから、祥の右の気道閉塞に対しては、結局、遅くとも一〇分位以内に充分な気道の確保すなわち気道内に吸引された半凝固状の吐乳の除去及び気管内挿管の措置がとられないと、その救命は、覚つかなかつたものと推認される。

そして、本件においては、現実にも、前記三、2、(8)に判示したとおり、被告富士原が祥の異常に気付いた午後二時五〇分ころから祥が右のような気道の確保の措置をとることが可能な病院であるJR東日本中央鉄道病院に搬入された午後三時二二分まで、三〇分以上の時間を要しているのである。

これらの事由を考慮すると、仮に被告安野が相当頻繁に乳児室を見回つて祥の動静に気を配り、これによつて早期に祥の異常を発見することができたとしても、そしてその後直ちに救急車を呼んでも、祥の救命を果たし得たかどうかは甚だ疑問が残るものといわなければならず、したがつて、前記認定の祥の死亡が前記四、2の被告安野の注意義務の違反によるものとしてその間に相当因果関係があるとまでは認めることができず、他の右の相当因果関係があることを認めるに足りる証拠はない。

六  以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 雛形要松)

《当事者》

原 告 永野恵子

右訴訟代理人弁護士 桑原宣義 同 紙子達子

被 告 安野田真美 <ほか一名>

被告両名訴訟代理人弁護士 飯塚英明

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